まず写真関連の経歴からになりますが、もともと映画が好きで、写真学校のテレビ映画技術学科に2年通い、社員数10人足らずのムービー製作会社に入社して1年少し撮影助手をしたことがあります。経営難で社員がどんどん退社して4人になった時に自分も退社して業界からも離れたので、その後の会社の事わかりませんし、うわさにも聞く機会がないままです。
撮影助手当時の仕事の内容は、30分枠のテレビ取材番組で、スポンサーが某県教育委員会で、県下の幼稚園から小、中、高校までの授業内容や学校事業をテレビで紹介するというものでした。年間50本製作するとして、その内30本位の撮影助手をしました。撮影が終わると、演出家が構成台本とアナウンス原稿を見ながら、ストップウォッチ片手にフィルム編集に入る訳ですが、画像を見るビュアーの操作を手伝ってフィルムのカット繋ぎのお手伝いなんかもさせてもらいました。それから後日ほとんど徹夜覚悟の音入れ作業になるのが常でした。プロダクション社員生活は短期間でしたがその間、大忙しで、見聞した内容は質量共に非常に多かったと思います。その後写真を仕事とすることはないままなので、写真のプロでもアマでもない、中くらいの立場かな、と自分では思っています。
さて本題の写真についてですが、写真学校の同窓会が卒業後20年経って初めてあり、その際に学生の頃に作った8ミリ映画の話題が出て、その話から結果として、その8ミリ映画を復刻版のビデオにして、映写機なしでもテレビ画面でみれるようになったんです。
タイトルは「奈良の印象」、内容は一人の若者が、奈良のあちこちを、ひたすらさまよい歩く、という、取るに足らないような単純なストーリー内容なんですが、懐かしく思いながら見ていて、これは凄いという気持ちになった部分がありました。
それは、奈良のあちこちの撮影の際に、当然、当時の風景や修学旅行の学生さん達、観光客、地元の人達、鹿等その他一杯映ってるんですが、そのなにげなく撮影した背景部分で、それがやけに活き活きして魅力的で、当時の街と人の様子をもっと撮っておけば良かったと、2〜3度繰り返し見ても、本気でそう思ったことが今でも印象に残っています。。
演出やストーリーは時と共に色褪せることはあっても、記録は色褪せないということでしょうか。
ストーリー映画を作ったつもりが、20年経ってみて、記録映画として非常に興味深かったということです。
目からウロコが落ちるという表現がぴったりするような体験で、それが元で写真は記録部分に最も価値がありそうだという、写真に対する基本姿勢が自分の中で固まり始めたことや、ズームコンパクトカメラが登場してきて、シャッター押すだけで、ほんとに気軽に写真が撮れるようになったことなどで、ほとんど撮らなくなっていた写真を、また撮りはじめるきっかけになりました。
そんなこんなで、新世紀が近付くにつれ、重い腰をあげ、おととし去年とかなり積極的に撮り続けることができて、今回公開しました写真集として、まとめることが出来たような次第です。
以上簡単ですが、大阪ウォーカーの写真に対する基本姿勢がどんなものかを書いてみました。
写真を見ていただく際に少しでも参考にしていただければと思います。
(以上2001年2月1日、記)
それと最後に改定事項を一つ。
2004年2月1日で、この「大阪写真集」が満3周年を迎えることができました。
どうにかこれまで継続してこれたのは、多くの訪問者の方々のお陰だと深く感謝しております。
本当に見えない形で力になっていただいて、大変ありがとうございました。
そこで、これからサイトを運営していくにあたりまして、1点これまでと改めたい思う事があります。それは、この3年間、「大阪写真集」の写真を自由にお使い下さい、としてきましたが今後は
原則として